『Considering Matthew Shepard』──歌うことで、記憶を未来へつないでいく
GMCTの読みものでは、日本ではあまり演奏される機会のないLGBTQに関する合唱作品も取り上げていきたいと思います。
海外には、美しいハーモニーを楽しむだけではなく、歴史や社会、そして人々の願いを音楽として残してきた作品が数多くあります。しかし、その背景まで日本語で紹介されることは決して多くありません。
このシリーズでは、そんな作品と、その作品が生まれた物語をご紹介します。
第一回は、現代合唱を代表する作品の一つ、『Considering Matthew Shepard』です。
『Considering Matthew Shepard』
『Considering Matthew Shepard』は、アメリカの指揮者・作曲家 クレイグ・ヘラ・ジョンソン(Craig Hella Johnson)によって作曲された約100分のオラトリオです。
2016年に初演され、後にグラミー賞にもノミネートされました。
オラトリオと聞くと宗教作品を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし、この作品は一人の青年の人生と、その死が社会に残した問いを描いた現代作品です。
クラシックを基盤としながら、フォークやゴスペル、ポピュラー音楽など多彩な音楽様式を融合させた、現代ならではのオラトリオです。
初演団体Conspirareによる公式音源はこちらからお聴きいただけます。
Matthew Shepard
マシュー・シェパード(Matthew Shepard)は、1998年にアメリカ・ワイオミング州で起きたヘイトクライム事件の犠牲となった大学生です。
ワイオミング州と聞いても日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、広大な自然で知られ、映画『ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)』の舞台としても知られています。
マシューはゲイであることを理由としたヘイトクライムの被害を受け、21歳という若さで亡くなりました。この事件は全米に大きな衝撃を与え、LGBTQへの差別やヘイトクライムについて社会全体で議論されるきっかけとなります。
その影響は法律や社会運動にとどまりませんでした。
マシュー・シェパードの人生と死は、多くの作曲家や音楽家、劇作家、映画制作者、作家たちにも大きな影響を与え、数多くの芸術作品の題材となりました。
『Considering Matthew Shepard』も、その中から生まれた作品の一つです。

「Matthewについて考える」という作品
ジョンソンは、この作品について次のように語っています。
"I wanted to create, within a musical framework, a space for reflection, consideration and unity around his life and legacy."
「音楽という枠組みの中で、マシューの人生と、彼が遺したものについて共に考え、思いを巡らせることのできる場をつくりたかった。」
作品のタイトルは「The Story of Matthew Shepard」ではありません。
Considering Matthew Shepard
Consideringには、「考える」「思いを巡らせる」「向き合う」といった意味があります。
この作品は事件そのものを再現することが目的ではありません。
一人の青年の人生を通して、私たち一人ひとりが差別や憎しみ、そして希望について考える時間を生み出そうとしています。
多くの人の言葉で紡がれたオラトリオ
この作品は、一人の作家が書いた物語ではありません。
マシュー本人の日記。
両親であるジュディ・シェパード(Judy Shepard)とデニス・シェパード(Dennis Shepard)の言葉。
当時の新聞記事。
そして、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(Hildegard of Bingen)、ルーミー(Rumi)、レスレア・ニューマン(Lesléa Newman)、マイケル・デニス・ブラウン(Michael Dennis Browne)らによる詩や文章。
さらに、ジョンソン自身のテキストも加えられ、それらが一つの作品の中に丁寧に織り込まれています。
だからこそ、この作品はマシュー一人の人生を描くだけではなく、多くの人々の声や想いが重なり合う、祈りのようなオラトリオとなっています。

私がこの作品に出会った日
私が『Considering Matthew Shepard』を初めて聴いたのは、2016年にカリフォルニア州パサデナで開催されたWACDA Conferenceでした。
WACDA(Western Division of the American Choral Directors Association)は、アメリカの合唱指導者協会(ACDA)の西部地区によるカンファレンスです。合唱指導者や教育者、学生が集い、演奏会や講演、新しい合唱作品の紹介などが数日間にわたって行われます。
『Considering Matthew Shepard』は、同年2月にテキサス州オースティンで世界初演され、その後まもなくWACDA Conferenceでも演奏されました。私は、その演奏を会場で聴く機会に恵まれました。
当時、この作品は発表されたばかりの新作でした。演奏が終わると、会場はしばらく静まり返っていました。その光景は、今でも鮮明に覚えています。
私にとってこの作品は、合唱が美しいハーモニーを奏でるだけではなく、人の心を動かし、社会について考えるきっかけにもなり得ることを実感した作品の一つです。
世界には、まだまだ知られていない作品がある
世界には、日本ではまだほとんど紹介されていないLGBTQに関する合唱作品が数多く存在します。
GMCTは男声合唱団であるため、『Considering Matthew Shepard』をそのまま演奏することはできません。それでも、この作品を紹介したいと思ったのは、合唱には美しいハーモニーを届けるだけでなく、人々の記憶を未来へつなぎ、社会と向き合う力があることを教えてくれる作品だからです。
GMCTの読みものでは、これからも世界のLGBTQ合唱作品や、その背景にある歴史、文化、そして作曲家たちの想いを紹介していきます。
一つひとつの作品との出会いが、世界の合唱文化やLGBTQコミュニティへの理解を深めるきっかけとなれば幸いです。
参考資料
- Conspirare – Considering Matthew Shepard
- Matthew Shepard Foundation
- ChoralNet – From Matt to Matthew to All of Us: A Cathartic Transformation in Craig Hella Johnson’s Considering Matthew Shepard
- WACDA Conference Program (2016)
画像出典
- Grand Teton National Park, Jackson Hole
Photo by Ben Emrick / Unsplash(Published on February 18, 2019) - Beaver Mountain, Wyoming
Photo by Quazie / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0) - President Barack Obama greets Judy Shepard at the White House, 2009
Official White House Photo by Pete Souza / Wikimedia Commons (Public Domain)
本記事は2026年7月時点で公開されている資料をもとに執筆しています。


